おしゃれについて

 

おしゃれをすることの意味について

これまで以上に色々と思うようになりました。

 

今までは少なくとも、人からどう見られるか

どう見られたいか ということが

意味の大きなことだと思ってました。

 

なんだかちょっと間違ってたかもな、と

今考え始めています。

 

例えばアクセサリー。

どんなものをどんな風につけてると

おしゃれな人っぽいんだろう って

まずはそこから考え始めていたんですよね。

 

「おしゃれな人に見える」ことが

大事なことだったってことです。

 

あまりアクセサリーは持ってないし

使い方も上手じゃないのは

ほっそりした首や、指や、手首の

持ち主ではないから。

 

あまり似合わない、というのが

自分でもよくよくわかってるので

積極的に取り入れるのが

気恥ずかしいような気持ちでいました。

 

でも、今は

そういうことじゃないんじゃない?って

考え始めています。

 

自分が楽しければ嬉しければ

それが一番大事なこと。

 

こういう服をこんな風に着てると

あたしちょっといい感じに見えるよね?って

鏡を見て「えへへ」って思うくらい

自分で嬉しい気持ちでいられること。

 

可愛くない?これ?って

自分が好きなものを着てると

1日ちょっと嬉しいこと。

 

もちろんそこには

こんな自分でいたいというイメージは

ちゃんとあるべきなんですよ。きっと。

その目標がないと、どこを目指せばいいのか

わからないから。

 

そのイメージを作ってるのが

他人の目なのか自分の目なのかが

大事ってことなんだと思います。

 

大事な旦那様が

こんなファッションで横に立ってると

嬉しそうだから、今日はそうしてあげるのが

私も嬉しい、と感じる日もあるし

それが息苦しい時もある。

 

自分が笑顔でいられるかどうか

その心持ちこそを

大事にすべきなんじゃないかと

食べることも着ることも暮らすことも

全部、そこにフォーカスするべきなんだと

すっきりと思えるようになりました。

 

人から見られたい自分 って

勝手に自分で想像したところで

人がそんな風に見てくれるかどうか

わかんないしね。

そもそも、自分に興味を持って

見てくれる前提ってのもおかしな話だしね。

 

好意的にでも否定的にでも見る他人が

自分の幸せを作ってくれるわけでは絶対にない。

幸せを作るのは唯一つ、

自分の心の持ち方のみです。

 

TPO っていうのをもちろん

求められるシーンはありますが

それはそれで、そのルールを

楽しめばいいのです。

 

それ以外のある程度自由な場所では

自分が居心地よく、心楽しくいられるものを

選べばいいんだって思うと

とても心が自由になる気がして

大きく息が吸えるような気持ちに

このところなり始めています。

 

アクセサリーの話に戻ると

太い指だけど、

こんな指輪見つけて

気に入って使ってます。

私の太い中指に

ゆるっと入るくらい大きなサイズの指輪。

 

太い指だって

シワシワの指だって

目に入るとちょっと嬉しい気持ちになるなら

身につけてていいじゃんね。

そう思えるようになりました。

 

 

日替わりでおしゃれな指輪を

つけなくちゃいけないルールなんて

どこにもないから

つけたければ毎日つけてもいいよね。

つけたくなければつけなくてもいいしね。

 

重ね付けっていうのをやってみたいから

ゆっくり気に入るものを探していこうと

思うようにもなってます。

ちょっと 楽しみです。

 

どうしなくちゃいけないってルールなんて

どこにもない。

”こうすればおしゃれに見えるルール”

なんてのを真似してみても

似合うかどうかは別の話で

そのおしゃれが楽しいかどうか

着心地よく過ごせるかどうかも全く別の話。

 

自分の心のありようを

大事にしていようと思います。

それは、自分で守らなくちゃ

誰も守ってくれないからね。

そして、誰か他の人の心のありようを

自分の力でどうこうしようとしないことも

心がけておこうと思います。

 

おしゃれとはちょっと

離れてしまっているようだけど

こんなことをあれこれ思うのも

恵まれて見える有名な方の訃報が

相次いだからでしょうか。

心から惜しみながら、

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

 

 

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