今日みたいな雨が降ってる朝は
起きる時間にはまだ真っ暗。
全部の電灯を消して眠ると
よく眠れる気がして
暗くして眠るようになりました。
目が覚めてもまだ暗い。
暗さが深くて(老眼で)よく見えない。
けど、痩せ我慢して、
暗い中でそろそろと起き上がり
ベッド脇に脱いだ
ウールのソックスをはき
カーディガンを羽織ります。
手探りで歩き、
トイレの電灯をつけると
明るくてびっくり。
トイレから出て歯を磨いたら
灯りは消してまた真っ暗に。
一度明るい中にいると
消した後はまた深く深くまで
暗闇に沈むみたいな気がします。
その暗さが面白くて
暗い中で動き始めることにします。
薄ぼんやりとしか見えない中で
神棚の水を変えて
朝一番のお線香に火を付ける
そのための小さな蝋燭の火が
最初の灯りになります。
小さな火でも、周りが
ふわっと見えるようになり
なるほど と思うのです。
このくらいの灯りで
暮らしてた時代があるんだよね。
神棚に手を合わせた後に、
ひとつひとつ、
窓のブラインドを
開けていくのですけれど
外は、街灯の灯りで
結構明るいのです。
そのほのかな明るさが
部屋の中に入ってきます。
でも、夜明けはまだまだ。
テレビを付けたら
テレビの灯りが広がるし
ストーブを付けると
その火からもまた
明るさをもらいます。
パチン、とスイッチを押すだけで
隅々まで見えるような明るさは
簡単に広がるけれど
ほのかな火や光を頼りに
動き始めると
心静かに1日がスタートするような
そんな気持ちになって
このところは、暗闇が続く時間を
楽しみにしてるみたい。
少しずつ、明るくなるの。
こんな雨の暗い日でも
明るくなるのです。
必ず、日は登るのだ と
何の迷いもなく信じられる
そのありがたさを思います。
部屋の中も、窓の外にも
静かに少しずつ
視界が広がっていく時間が
過ぎていきます。
朝というのは、
本来こういう時間だったのだな。
寒くて寂しくて暗いから
ぱちぱちと家中に
朝から電気をつけて明るくして
がざがざばりばり動いてた時には
気づきもしなかった。
どんなに暗い闇の中にいるようでも
薄ぼんやりと
ものの輪郭が見えるくらいの
微かな光はどこかにある。
その中ででも、できることをすること
できる方法を考えて動くこと。
何も見えない、何も出来ないと
座り込んでうずくまるよりも
その暗闇を楽しめれば
できることがきっとある。
そういうことは
人生の中で起こってることも
一緒なのかもねとか思ったりして。
ぱちぱち電気つけて
元気に動く時期はもう過ぎたのだ。
ゆっくりと、自分のペースで
ものの輪郭を見つめる時期に
入ってるのだとか考えたりして。
冬至まで、どんどん
日の出は遅くなり、
朝の闇は深くなります。
その日を過ぎると少しずつ
明るくなるのは早くなるのだな。
今のうちに、この暗さと
少しずつ夜が明けていく時間を
楽しんでおこうと思います。
コロナが日常になって
普通の毎日が戻ってきたら
家にずっといた日々を
懐かしく、愛しく
思ったりするんだろうか。
それは、でも、これからも
自分で選べば
自分で得ることのできること。
そんなことも考えた時間だったんだ。
本日もお越しいただき、
ありがとうございます。
暗い中で髪ぼさぼさのおばさんが
クイックルワイパー持って
ゆるゆる動いてるのは
なかなかシュールな絵面と思う。
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