相変わらず週末になると
あちこち片付けたり、考えたり、
なんだかんだと慌ただしい。
洗濯機とソファを処分せねば、というのが
かなり大きめの処分問題。
ソファはこの記事で詳しく書いておりますが
IKEA のもの。
シングルベッドにもなる深めの座面が嬉しくて
気に入って使っていましたが、
処分するとなるとかなり大変。
大きいからねぇ。
粗大ゴミにするにしても、
どうやってゴミ置き場まで運ぶのだい。
洗濯機もまだまだ使えるし
手入れもきちんとしてたから
きれいな状態です。
リサイクルにもお金がかかるのねって
いろいろと調べてみましたが
最終的にどうしようもなかったら
全部まとめて処分してくれる
リサイクル業者に頼むという手もあるかと
考えたところで
ダメもとでジモティーに出してみました。
適当に写真を撮って
運び出してくれるなら
無料でどうぞ、と書いてみたら
すごいねー
洗濯機など、ものの数分で
10通以上の申し込みがありました。
これは業者さんですね、とわかる感じ。
とはいえ、びっくり。
一番最初にメールをくれた人に
お譲りしますと連絡しました。
出来るだけギリギリまで使えるよう
日程は調整してもらいます。
ソファは猫の爪とぎあとがひどいので、
カバーは新調してくださいねと正直に。
こちらは一般の方と思われる方から
問い合わせをいただきました。
まだいろいろ打ち合わせ中なので
決まったわけではありませんが、
どうやって捨てようと悩んでいたものが
こんな風に誰かに貰われていくのなら
ありがたいなぁと嬉しいことです。
あとの大きめのものはテレビ台。
IKEAの安物だし、劣化も酷いし
これはどうにか運び出せるのではないかしら。
とはいえ、かなり苦労するだろうなと
想像がつきます。
で、他のものもいろいろ含めて
リサイクルの業者さんに一括でお願いするのも
いいかもねと まだ思ってます。
大物がなくなったので、軽トラでいけるなら
あれこれ粗大ゴミで出すよりも
安く上がるかもしれませんものね。
粗大ゴミもたくさんになると
意外と費用がかさみます。
30cm以上のものは全部粗大ゴミって思うと
そこそこあれこれあるのよね。
インスタグラマーのyur.3が
先日上げていらしたコンテンツにあった
『断捨離で大切なのは、
得しようなんて思わないこと』
という言葉が刺さりまして
売ろう、とか思わなくていいのだと
ふっと楽になりました。
必要ないものはどんどん処分しよう。
トランクルームの中も
数年ぶりに、覚悟を決めて改めてみると
そこにあったことすら覚えていないものが
大量に発掘されました。
なくても全く影響のなかったものたち。
私が死んだ後に発掘されたら
きっと娘が困り果てることでしょう。
そこにしまい込んだ時には
捨てがたかったものなのかと思うと
不思議な気持ちになります。
バッサバサと処分処分。
amazon の大きな茶色の紙袋が大活躍です。
(これね。)
一旦ここに入れると、
中身が見える心配もなくて
気持ち楽に、思い切りよく捨てられます。
このタイミングでまた、
この作業が出来たことのありがたさ。
まだまだたくさんあるモノと
どうやって最後まで付き合うのか
最終的にはどうなるのがいいのか
試行錯誤は続いていくのでしょう。
自分がこだわって残しておきたいと思うものと
意外ともう執着してないと気づくものと
いろいろあって面白い。
これは年月とともに変化していき
おそらくどんどん執着しなくなるんだろうなと
想像がつきます。
死ぬ時に持っていけるものなど
ひとつもないのだ。
そして残されて本当に嬉しいのは
お金くらいじゃないかねぇ
(せめて借金は残さないようにするよ)
着物と和裁には
今気持ちががっつり向いているから
その辺りのものはまだ手元に残したいけれど
本や日記や記録的なものへの執着は
どんどん薄くなっています。
日記など、ほんと
死んだ後に見つかったら
恥ずかしい以外のなにものでもないから
全捨てです。全捨て。
最近ではペラペラのノートに何かしら書き
ノートがいっぱいになったら捨ててます。
考えていることを吐き出すのは
必要な作業でも
それが終わったら
自分でも読み返すのが恥ずかしい。
同じことを何度も何度も何度も考えて
決意するのに出来ない何十年の歴史には
自慢できることなどひとつもないぜ。
死んだ後のことに思い至る年齢になると
そういうものへの未練は全くなくなるのねぇ。
その点、PCの中に埋もれていくものは
嵩張らなくて、気が楽です。
一応誰かが読む前提で書いているので
それなりに「よそ行き」になってるしね。
やってみれば、気持ちいいのがわかってる
片付けという作業。
心理的なハードルの高さは
なんかダメな自分と向き合うことだからかなぁ。
まだまだ続きますが、
すっきりと片付いた空間をイメージして
頑張ろうと思います。