週末、稲垣えみ子さんの
「家事か地獄か」を再読していて
また、家事と暮らしについて
考えています。
せめて日曜日だけは
来たる娘たちとの同居のために
片付けをやろうとしていて
今日はベランダに設置していた
エレクターの棚をクローゼットルームに移設。
元々は処分しようと思っていて
そのために運ぼうとしたところで
待てよ、と思いつきました。
クローゼットに入るんじゃないの?と
測ってみるとちょうどいい!
この棚をパントリーとして使うことにします。
共有のものとして使うものと
プライベートのものをまず分類して
それぞれのものを収める場所を考えています。
個人のものは基本寝室に。
洋服のみクローゼットルームに
はみ出させることにすれば、
どうにか収まるのではないかという作戦。
彼らのモノのための空間を作らねばならず
あれこれ考えながら今あるモノを処分しつつ
限られた空間で使いやすく収納 と
考えていたところで
必要最低限のものしかなければ
そもそも収納に悩むこともないのだなと
稲垣さんの本を読み、
改めて考え込んでいます。
そんなに多い方ではないと思うけど
やっぱり少ないわけではない。
暮らしをシンプルにすればするほど
楽になるだろうことは容易に想像がつくのに
なかなか踏み切れないのは何故だろうな。
まだまだいろんな方向に
未練や欲望が残ってるのだよねぇ。
でも、年を重ねていけばいくほど
自分の手に負えないことも増えていくはず。
掃除、洗濯、料理など
家事を軽やかに、
手に負えるものにしておくことは
きっと本当に大事なこと。
おそらくモノを減らすことで
かなっていくのだろうと思うから
これからも新しい暮らしが始まっても
試行錯誤を続けていこうと思うのです。
なんだかんだと
変化は楽しいね。
そりゃ豪華旅行も楽しいと思うけど
知恵を絞り、あれこれ工夫を繰り返し
ドロドロになった雑巾を洗いながら
達成感に満たされる休日も
負けてないように思えます。
読み返して一番心に残ったのは
本当に年をとり、
最後に何もすることがなくなった時に
どうすればいいのかという問いに
日々暮らすための家事さえあれば
何もすることがなくなることはないと
答えを導いた稲垣さんの結論。
生きるということはそういうことだねって
深く深く頷いています。