昨日さかもとりえさんを自宅に
お迎えしたのですが
お昼過ぎまでご予定ありとのことで
じゃ、軽いお昼を用意しますね、と
お伝えしました。
”軽いお昼” を準備するのも
誰かに家に来てもらうのも
自分に対しての軽いプレッシャーです。
日々の掃除ルーティンで
そこそこきれいにしているつもりだけれど
それは自分の秤で計ったきれいさで
「お客様が来る」目線で見るとどうなんだ?
と、もう一度見直す機会。
自分なりのゆるさが入ってる部分が
そこここレーダーに引っかかります。笑
でも、完璧なんてことはありえないし
必要以上に気にしないようにしないと
そもそも誰かに来てもらうことなんて
無理、ということになってしまう。
ので、まぁ、それなりに。
基本、昔ほど気にならなくなってます。
ま、こんなもんでしょ、と
思えるようになりました。
そして、それはある意味
自分の成長のように感じてます。
いいかっこしなくなったということね。
ある程度毎日頑張ってる
そのままの自分でいいや、と
思えるようになったというか。
数年前だったら
全部の部屋を覗かれることなどないのに
全部の部屋をきれいに片付けなくちゃとか
前の日から遅くまで頑張りすぎたりして
空回りしていたところ。
何せいらっしゃるのが
お片づけの先生ですもの。
でも今は、
こんな感じで、えへへ。
で、済ませることができるようになりました。
(成長?)
で、お料理です。
自分のためだけに作っているのと
誰かに食べてもらうのとは
ずいぶん意味が違うのですよね。
献立を考えるのも作るのも。
大袈裟なことはしないし
手を抜くのも嫌
その辺りのバランスを考えて
自分の力量でちゃんと作れるもの
時間内で無理なく作れるものを。
その日初めて作る大層な料理を
作ろうとして失敗、みたいなことを
何度も何度もやらかして
日々作っているようなものなら
ギリギリどうにか
失敗せずに作れるのであって
急に料理上手なフリとかしても
あかんやろ、それは、と
ようやく理解しました。
そのためには、日々の自分の食事も
しょーもないものでも
どうやったら美味しくなるか!?を
考え、試し、ということも
すごい大事なんかもしれん、と感じます。
昨日の献立は
料理本からいくつか選び
アレンジもしながら
しまあじときゅうりの胡麻和え
焼きなすと茗荷のお味噌汁
新生姜の炊き込みご飯
というかなり質素な一汁一菜。
優しいりえさんは
喜んで食べてくださって
良かった良かった。
誰かのために料理をするのは
本当に楽しく嬉しいことです。
で、やっぱり誰かをお迎えすることで
自分も整うのだなと思ったのです。
一緒にご飯を食べる、
いろんなことを話す、ということ
それは心の栄養のようなものだと
実感する時間でした。
このところの週末は
文字通り家から一歩も出ずに
あまり褒められたものではない感じで
だらだらと過ごしていたので
いつもは会えない人と会うこと
そのためにいろいろ考えることや
手を動かすことは
とても嬉しいことでした。
ひとりか二人、ランチなら
週末に月に1回程度なら
うちでご飯食べる?を
やってみてもいいんじゃないかと
思いついてしまった。
美味しいものを中心に
人と繋がる場を作ることは
いつかのテーマのひとつでもあるのです。
それが、何のために、とかっていうのは
まだ見えてないのですけれどもね。
一人でご飯を食べ続けるのは
しんどい、という実感から思っていること。
そんな風に思いながら
毎日ひとりでご飯食べてる人が
いっぱいいるんじゃないかと思うから。
自分が無理せずにそんな場を作るためには
料理をあまり苦にならずに作れることや
そもそもそれなりの味にすることや
コストを抑えて作ることも必要になります。
そのうえ、一緒に食べたいのは好きな人、という
わがまま限定条件も加わるし
ねたねたした人間関係はめんどくさいので
まだまだ考えることがたくさんなのです。
そんなことまで考えたのは
りえさんと久しぶりに話したことで
たくさん刺激を受けたから。
リアルに会うのはいいな。ほんと。
少人数で、気をつけながら
アウトドアで、ピクニック的なものなら
なお安心かもね なんて
いろいろ考えます。
今週も始まりました。
少し、そろり、といろんなことが
動き始めている感じがあります。
何をどうすればいいのか
よくわからなかった去年とは違い
こういう方法ならできるんじゃないかと
ある程度の知識が共有できてるのも
大きいのですね きっと。
野球も今年は見に行きたいなー。
本日もお越しいただき
ありがとうございます。
今も最前線で戦ってくださっている
世界中の医療従事者の皆様に
心からの感謝を!