ようこそ我が家へ

 

昨日さかもとりえさんを自宅に

お迎えしたのですが

お昼過ぎまでご予定ありとのことで

じゃ、軽いお昼を用意しますね、と

お伝えしました。

 

”軽いお昼” を準備するのも

誰かに家に来てもらうのも

自分に対しての軽いプレッシャーです。

 

日々の掃除ルーティンで

そこそこきれいにしているつもりだけれど

それは自分の秤で計ったきれいさで

「お客様が来る」目線で見るとどうなんだ?

と、もう一度見直す機会。

 

自分なりのゆるさが入ってる部分が

そこここレーダーに引っかかります。笑

でも、完璧なんてことはありえないし

必要以上に気にしないようにしないと

そもそも誰かに来てもらうことなんて

無理、ということになってしまう。

ので、まぁ、それなりに。

 

基本、昔ほど気にならなくなってます。

ま、こんなもんでしょ、と

思えるようになりました。

そして、それはある意味

自分の成長のように感じてます。

いいかっこしなくなったということね。

ある程度毎日頑張ってる

そのままの自分でいいや、と

思えるようになったというか。

 

数年前だったら

全部の部屋を覗かれることなどないのに

全部の部屋をきれいに片付けなくちゃとか

前の日から遅くまで頑張りすぎたりして

空回りしていたところ。

何せいらっしゃるのが

お片づけの先生ですもの。

 

でも今は、

こんな感じで、えへへ。

で、済ませることができるようになりました。

(成長?)

 

で、お料理です。

自分のためだけに作っているのと

誰かに食べてもらうのとは

ずいぶん意味が違うのですよね。

献立を考えるのも作るのも。

 

大袈裟なことはしないし

手を抜くのも嫌

その辺りのバランスを考えて

自分の力量でちゃんと作れるもの

時間内で無理なく作れるものを。

 

その日初めて作る大層な料理を

作ろうとして失敗、みたいなことを

何度も何度もやらかして

日々作っているようなものなら

ギリギリどうにか

失敗せずに作れるのであって

急に料理上手なフリとかしても

あかんやろ、それは、と

ようやく理解しました。

 

そのためには、日々の自分の食事も

しょーもないものでも

どうやったら美味しくなるか!?を

考え、試し、ということも

すごい大事なんかもしれん、と感じます。

 

昨日の献立は

料理本からいくつか選び

アレンジもしながら

 

しまあじときゅうりの胡麻和え

焼きなすと茗荷のお味噌汁

新生姜の炊き込みご飯

 

というかなり質素な一汁一菜。

優しいりえさんは

喜んで食べてくださって

良かった良かった。

 

誰かのために料理をするのは

本当に楽しく嬉しいことです。

 

で、やっぱり誰かをお迎えすることで

自分も整うのだなと思ったのです。

 

一緒にご飯を食べる、

いろんなことを話す、ということ

それは心の栄養のようなものだと

実感する時間でした。

 

このところの週末は

文字通り家から一歩も出ずに

あまり褒められたものではない感じで

だらだらと過ごしていたので

いつもは会えない人と会うこと

そのためにいろいろ考えることや

手を動かすことは

とても嬉しいことでした。

 

ひとりか二人、ランチなら

週末に月に1回程度なら

うちでご飯食べる?を

やってみてもいいんじゃないかと

思いついてしまった。

 

美味しいものを中心に

人と繋がる場を作ることは

いつかのテーマのひとつでもあるのです。

それが、何のために、とかっていうのは

まだ見えてないのですけれどもね。

 

一人でご飯を食べ続けるのは

しんどい、という実感から思っていること。

そんな風に思いながら

毎日ひとりでご飯食べてる人が

いっぱいいるんじゃないかと思うから。

 

自分が無理せずにそんな場を作るためには

料理をあまり苦にならずに作れることや

そもそもそれなりの味にすることや

コストを抑えて作ることも必要になります。

そのうえ、一緒に食べたいのは好きな人、という

わがまま限定条件も加わるし

ねたねたした人間関係はめんどくさいので

まだまだ考えることがたくさんなのです。

 

そんなことまで考えたのは

りえさんと久しぶりに話したことで

たくさん刺激を受けたから。

 

リアルに会うのはいいな。ほんと。

少人数で、気をつけながら

アウトドアで、ピクニック的なものなら

なお安心かもね なんて

いろいろ考えます。

 

今週も始まりました。

少し、そろり、といろんなことが

動き始めている感じがあります。

何をどうすればいいのか

よくわからなかった去年とは違い

こういう方法ならできるんじゃないかと

ある程度の知識が共有できてるのも

大きいのですね きっと。

野球も今年は見に行きたいなー。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

考える時間

 

自粛生活の間に

規則正しい生活が

かなり身につきました。

 

早寝早起き。

 

外食の機会も出張も旅行もなくなり

家の近所のスーパー銭湯にさえ行かず

映画を見に行って遅くなるなんてことも

ほぼなくなりました。

週末に時々、近所のレストランに行くくらい。

それも8時には営業終了だったりしましたから

ちょっと残業したレベルの時間には

家に帰り着いています。

 

家でご飯を食べて、お風呂に入り

仕事をして眠る。

また朝起きて家事をして

会社に行って家に帰る。

 

単調ではあるけれど

するべきことができている充実感と

じっくり物事に取り組める時間がある喜び。

 

いつかやろう、と思っていた

自分プロジェクト(大げさ)を

いくつも実際に動かし始めていて

行動したり考えたり検証したりも忙しい。

長く忘れていた感覚です。

 

そうすると

何かイレギュラーな予定が入って

ルーティンが崩れると

ひどく疲れる気がするようになりました。

 

何もなければできたはずの

あれもこれもする時間がなくなった!と思うと

なんだかストレスになったりします。

 

あらら。どうしたかしら。

 

歳をとってきてるというのもあると思います。

それにしても、今までが

やっぱりいろんなことを詰め込みすぎて

いっぱいいっぱいだったんだろうなぁと

思わざるを得ません。

 

「ハレ」の日は、

「ケ」の日がたくさんある中にあるから

ハレなのだな。

 

さまざまな予定に振り回されて

ものごとをじっくり考える時間もなく

あっという間に日々が過ぎていってました。

 

今も実のところ、そんな感じでもあるけれど

それでも目の前を過ぎていく時間の首根っこを

捕まえて、しがみついて、引きずられてるけど

ちょっとスピードダウンしたかな、

ちょっと見えるようになったかな、

ちょっとは自分で

コントロールでき始めてるかな

という実感があります。

 

働き方を変え、地方移住を考える人が

リアルに多いというのは

まさに、そういうことを考える時間を

持てるようになった人が多いということ。

 

今出ている AERA を

久しぶりに購入したのですが

巻頭特集が早期リタイアについてでした。

 

想像していたのと違い、

月8-10万円くらいに生活費を納めて

そのくらいの利回りで

食べられるようになったら

リタイアするというもの。

 

月々30万とか100万とかの

益が出るようになったら

するもんかと思ってました。笑

もちろんそういう方も

いらっしゃるのですが。

 

年金生活みたいなもんですね。

 

そういうことを考える人も

増えているのだと思うと

このコロナは多くの人にとって

自分の生き方や人生を

改めて見直す機会に

なっているということです。

 

私もまだまだ考えるべきことも

やるべきこともしたいことも

山のようにあり

もしも世界が戻った時にも

以前のような暮らしぶりには

戻らないだろうなと考えています。

 

地に足がついている感覚?

なんだろうか。

なかなかいいもんだ。

(今まで何してた!?って話ですよねー)

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

迷いながら

 

緊急事態宣言は解除されたものの

やはり感染者数は増加しています。

我慢もそろそろ限界に来ている印象。

人出は明らかに増えていますものね。

 

人に会わず、

温泉付きの個室に料理も運んでもらう

引きこもりの出来る温泉宿などは

興味半分で調べてみたら

すごーく高級なところでも

軒並みずっーーと満室で取れませんよ。

(平日でも!!)

お金持ちの人っているんやなと

違うところにも引っかかりながら

こっそり旅に出てる人も、それなりに

いらっしゃるのだろうと感じます。

 

あー どこかに行きたいねーと

話しながら、ぼやきながら

普通に働き、家に帰り

手を洗ってマスクをして

毎日を送っています。

大半の人はおそらくそうなんだろうな。

 

先が見えませんね。ほんと。

ワクチンったって

いつ打っていただけるものやら。

 

考えうる範囲の対策をしたら

桜も見たいし

外にも出たい。

それはもうありにしようよ、と

みんなが思ってるから

今年は去年みたいに軒並み禁止禁止ではなく

出来る範囲でそれぞれに

お花見も楽しんでいらっしゃる。

 

感染対策をしながら

外で買い物をして

外でご飯を食べて

映画を見て、舞台も見て

そうしていかないと本当に

たくさんのお商売も産業も

消えてしまいますものね。

 

感染力が強いという変異種。

さて、どうなっていくのでしょうか。

 

今朝読んだアドラーの本の章は

キリスト教に関するところに入っていて

全て神に任せる と決めると悩みは消えて

心が穏やかになるとありました。

 

本当にそうだなぁと思ったのです。

私はキリスト教の信者とは言えないし

毎朝拝んでいるのは七福神様と

八百万の神様と

キリスト教でも何でも、

神様と言われる神様全員に

祈っている感じで

敬虔な信者の方から見ると

ひどく邪道なこと。

 

でも、世界中の人がそれぞれ

自分の信じる神様に祈るなら

呼び名は違っても

違う宗教だとしても

その”神様”という漠然とした存在に

私も祈っているのです。

 

出来る限りの努力をしたら

あとはお任せしましょう。

 

どんな筋書きが待ってるのか

何が起こるのかは予想できないから

起こることを受け止め

今、少なくとも健康に、働けること

その全てに感謝して毎日を過ごそうと

改めて思い、少し気持ちが楽になりました。

 

出来ることを頑張るのみ。

ですね。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

ピアノレッスン

 

独学ですが

ピアノの練習を始めました。

 

我が家には、

長らく誰にも見向きもされなかった

娘の電子ピアノがあります。

処分しようかと

思ったことも何度かあったけれど

置いておいてと娘に懇願されると

捨てるわけにもいかない。

 

そしてわたしの

「死ぬまでにやりたいことリスト」の中に

ギターかベースか

とにかく楽器を、というのもあり

新たな楽器を買うよりも、

家にあるピアノをやってみようかなと

思うようになりました。

指を動かすのは、色々良さそうだしね。

(ボケ防止とか 笑)

 

子供の頃に習ってました。

当時流行っている習い事だったから

そういう人は多いのではないでしょうか。

中学受験を理由に辞めて

そのままになりました。

 

楽譜の読み方すら

怪しくなっているので、

大人 初心者 ピアノ で検索して

良さそうな楽譜を調達しました。

そうなるとちょっと気持ちが乗ってきて

わくわくして弾き始めています。

電子ピアノなので、イヤホンをすれば

時間を気にせずに弾けるのもありがたい。

 

昔の練習方法と今は、全く違うのですね。

 

小さい子供がゼロから習うような

本当に初歩的な楽譜から始めましたが

単純な曲でも、美しい旋律なら

楽しんで弾けるものなのだなぁと

新たな発見をしています。

 

幼稚園児レベルでも

上手に弾けると嬉しいもんです。

 

楽譜上の音符を見て

無意識に鍵盤の上に指を置ける

そういう練習を一からやり直し

少し戻り始めている感覚があって

なんだかすごく楽しいのです。

 

そして、こんなに簡単なものを

間違わずに最後まで弾けない . . と

愕然としたりしています。

 

少しずつ少しずつ、

約束事が学べるように

細やかな解説がついているので

あぁそうだった、と思い出したり

これはそういう記号だったのかと

今更のように学んだりして

初歩の初歩の1冊目は

夢中になっているうちに最後まで

弾き終わりました。

 

これも、続くといいなぁというものの

ひとつになっています。

毎日ちょっとでも

ピアノに触る時間があるような

そんなライフスタイルになるといいな。

ピアノを弾く習慣を今のライフスタイルの中の

どこに、どんな風に入れていくのが

いいのか、続くのか、

しばらく試行錯誤してみます。

 

リビングか書斎に

ピアノを移動させることも考えよう。

邪魔者扱いだったから

衣装部屋に押し込めてあって

ちょっとかわいそうなピアノ。

また大事にしてあげられるといいな。

 

どういう曲を弾きたいのかとか

明確な目標があるわけでは

ないのですけれど

楽器を奏でられる人に

憧れているということです。

音感もないし、音楽のセンスは

ゼロに近いのは間違いないけれど

そんなことはどうでもいいや、もう。

 

家事でも、料理でも

音楽でも、園芸でも、

スポーツでも、手芸でも

趣味と言われるものの

楽しみ方は人それぞれ。

プロになるわけじゃないんなら

自分が楽しければ、それで十分。

誰に非難される筋合いもないし

何が正しくて何が間違っているわけでもない。

遠回りでも、それが楽しいなら

それもまた良し。

そんなふうに思えるようになって

人生は随分楽になりました。

 

ますます、限られた時間との戦いだ。笑

1日は24時間なのに

しなくちゃいけないことも

したいこともありすぎるし。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

誤解の効用

 

書斎にすると決めた元寝室には

作り付けのデスクコーナーがあり

その机の前に鏡を置いてます。

光が入りにくい位置にある部屋で

日中でも暗くて照明をつけないと

何もする気にならない部屋。

常に電灯の灯りの下で

机に向かうのですが、今もそうして

コンピューターに向かっています。

 

薄ぼんやりとした灯りの中で

老眼と近眼が入った目で見ると

鏡の中の自分が

それなりにいい感じに見えて

ぼんやりとしか

見えてないからなんだけど

ちょっと嬉しい気持ちになります。

 

朝の太陽の光の元で

お化粧をしている時には

ほとほと落ち込むしかない感じなのに

夜の光の中では

別人のように見えて

意味もなく救われます。

 

馬鹿みたいだけど

人間ってそういうもんよね。

 

インスタに上げてる写真も

みなさまよくお分かりかと思いますが

元の画像は悲惨なもんでも

今時のきれいになる加工をかけると

あっという間にそれなりに。

 

よくわかってるはずなのに

きれいになった写真見てると

自分はこんな感じなんだと

誤解してしまいそうになります。

 

いやいや、嘘やん、

こんなんちゃうやん。

 

朝起きると何もしてないのに

なんかふくらはぎの筋肉が痛いとか

なんか寝違えた?とか

毎日違う場所に

サロンパス貼るような日々です。

 

あらあらと苦笑いしながら

スルーするしかない。

対処して忘れる。

くよくよしない。

まぁ、ありとあらゆることを

すぐに忘れてしまうのですけれどね。

 

悩んだところで

世界は変わらない。

起こったことは変わらないから

今からのことを変えるしかない。

それも自分がやるしかない。

自分が変えたいのは

どんなふうにで

どんなことでというのは

自分にしか分からないしね。

自分が変化してはじめて

相対する世界が変わるのでしょう。

 

誤解でもなんでも

ちょっとでも機嫌良く

気分良くなれるなら

写真加工も、ぼんやりした視界も

悪くないんじゃないかと思えてきました。

 

おばあさんになっていくことは

くよくよし始めたらキリがないくらい

切ないことのオンパレードでてんこ盛り。

 

容赦ない写真とか

拡大鏡で見る自分の顔とか

現実はしっかり認識した上で

上手に誤魔化して気分をよくしながら

笑って過ごせるならそれでいいや。

 

あまりよく見えない

鏡の向こうの自分は

機嫌のいい顔をしています。

機嫌の悪い顔で過ごすよりも

ずっとずっといいよね。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

耳で聴く。本を聴く。

 

オーディオブック。

2冊目も、Audible の

お試し無料期間ということで

無料でゲットしました。

 

 

チャールズ・デュヒッグ著 「習慣の力」。

 

習慣をテーマとするいろんな本の中で

この本のことが言及されているので

おそらく習慣というものを学ぶための

教科書みたいなものなのだと勝手に思って

次の1冊に決めたのです。

 

文庫だと ¥1,010 ですが

Audible 版だと ¥4,000 もするので

アマゾンさんの太っ腹ぶりに感謝。

全部で14時間以上もある音声コンテンツです。

 

まだ半分も聞けていないのですけれど

朝ごはんを作りながら、

お化粧をしながら、

楽しみながら聞いています。

 

様々な企業や場所、

人に起こった問題、事例など

どのように解決されたのか

そこに習慣というものがどう作用しているのか

たくさん紹介されていて

とても面白いのです。

 

ちょうど今スターバックスの

教育プログラムの話を聞いているところです。

何もなくて、成功するわけないんだけど

やっぱりその裏には

いろんな努力があるのだと知ると

勇気づけられます。

 

1冊目の Atomic Habits とは

もちろんですが、意味がちょっと違う本。

 

 

こっちも普通に手に入れようとすると

¥3,500 もするのを

無料でいただいてしまった。

何度も何度も耳で聞いて、考えて

自分の中に取り込んでいくのは

初めての体験でした。

物事を勉強したり身につけたりするのに

すごく良い手法を見つけた感覚。

 

わたしはこの本を聞いてから

人生が良い方向に変わりました。

きっとこれからも何度も何度も

聞いては、違うことに気づき、

考え続けるのだろうと思っています。

紙の本を買うことも考えるのですが

これに関しては、

聴くことに出会った本なので

このままでいいかなと思っています。

 

そして、この本だけじゃなくて

世の中にはヒントをくれる本、

自分を変えてくれる本が

まだまだたくさんあるのだろうと

確信することも出来ました。

楽しみだなぁ。ほんと。

そう思うとわくわくしてきます。

 

電車の中で聞いていたりすると

変な気がするのですよね。

本を読んでいる んだけど

何もしてないように人からは見える。

もしくは、音楽を聴いてるように見えるのか。

本を聴く という感覚は

なんとも不思議なものです。

 

携帯の中に入っているから

本を持ち運ぶ必要もなくて

小さなイヤホンを忘れないように

充電も切らさないようになりました。

 

耳だけでいいから

いろんなことをしながら聞けるんだけど

そこに結構集中しているので、

あまり複雑な作業と同時には難しい。

そういう意味では掃除や片づけなど

機械的に手を動かす

家事との相性がとてもいいと感じています。

 

音声ドラマなどを

楽しむことも出来るでしょう。もちろん。

落語とかね、英語の勉強とかね

ラジオ聞いてる人もいるんだろうと思うと

イヤホンしてるからってみんながみんな

音楽聴いてるわけじゃないんだって

気がつくようにもなりました。

ダウンロードした

ドラマ見てる時とかもあるし

clubhouse とか stand FM とか

音声メディアも様々に

枝分かれしています。

自分の必要とするものを

その時々に、取り入れられれば

それでいいですよね。

1日は24時間だから。ほんと。

 

Amazon Audible ですが

今月の末くらいにお試し期間が終わる予定。

わたしの中にささやかな革命を

起こしてくれたことに感謝して、

継続しようかなと思ってます。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

読むこと 書くこと

 

ブログが更新されていない、と

ご心配くださった方もいらしたようです。

ありがとうございます。

 

サーバーメンテナンスの関係で

書けなくなっていたので

note に書いてますよ、と

時間差で追記したつもりだったのですが、

反映されなかったようです。

大変失礼致しました。

 

2日分、note に書いたものを

貼り付けておきますね。

よろしければ、ご笑覧ください。

 

昨日の分は見た目がちょっと

いつもと違いますが

文字数が思ったよりもかなりあったので

実験的にそのままにしてあります。

 

逆にここに書いたものを

note に転載すると

とても短い文章になって

結構時間かかったのに

こんだけしか書いてない、と

がっかりすることがよくあります。

 

改行せず流し打ちで見え方が変わると

「伝えたい感じ」が伝わらないようにも思えたり

違う場所に書くことで

書く内容も変わってくるのだな と

いい経験になっています。

 

ここのブログに関しては、

携帯で見ても余白の多い様子や

文字の色、大きさなども

馴染んでいるし

気に入っているので

これからもこのスタイルで

日々のことを綴っていこうと

改めて考えています。

引き続き、どうぞよろしく

お願い申し上げます。

 

毎日書くことで

楽になったり慣れるのかというと

全くそんなことはありませんね。

この程度の文章でも

毎日、毎回、かなり時間もかかるし

書いては消し、悩みながら

文字を置いています。

 

今の東京にいると

出かけることにも制限がかかり

誰かに会う、喋る、ということも

自由には出来ず

自分の中の小さな世界でぐるぐると

考えや思いが巡りがち。

 

違う視点の

違う考え方を知るのは

やはり読むものから。

 

新しい知識や知見により

視野が広がる感覚、

自分の中の世界が広がる感じは

なんと新鮮で楽しく、

希望に満ちたものであるものかと

この歳になって気づいています。

 

自分には関係ない、興味ない、と

今まで見向きもしなかった分野のものも

読み始めました。

過去の偉人たちが残してくれた

膨大な言葉にも教わることは限りなくあり

範囲はいくらでも広げられます。

 

何のために?と思うと

今日の自分が昨日よりも少しでも

成長していけるように と

要するにただそれだけのことなんですね。

どこまでいっても未熟だし

知識レベルも低すぎると感じます。

(これ、死ぬまでこんな感じなんだろうか。

きっとそうなんやろうなぁ。)

 

同じようなことで悩み、考えた人が

たどり着いたことを教えてくれるものが

こんなにもたくさんある。

 

表面的に文章をなぞるだけじゃ

全く自分に入ってこないから

考え考えしながら読んだりも

するようになりました。

そして考えるだけじゃなく

すぐに行動に取り入れることを

肝に命じています。

 

どこにも行けない時間の中、

内側を広げることに

気付けたのは大きなことでした。

 

読むこと、書くことに

救われる毎日です。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

そして、今日は東日本大震災から10年。

忘れず、備え、自分のできることを考えて

過ごそうと思っています。

 

 

 

 

確定申告合宿

 

昨日のブログ、

投稿したつもりになっていたのに

夕方まだ上がってないことに

気づいて焦りました。

途中まで書いて放置されていた。

何か他のことに気をとられて

書いたような気になってたのかな。

 

毎日書く、というのは

書くことそのものだけでなく

きちんきちんとアップする

その仕組みを作ることも含めて

いろいろ努力がまだまだ必要。

冷や汗をかきました。

 

娘と近所のレストランで

ご飯を食べていたので

続きを書き、画像を挿入し、

アップするというのを

初めて携帯からやってみました。

後で見てみたらちゃんと出来てた。

スマホ、恐るべし。すごいな。

 

とはいえ、やはり書くことに関しては

コンピューターに向かって

キーボードの上で考える方が

落ち着きます。

 

とにかく毎日書くっていうことだけでなく

ちょっとでも読んでくださる方の

役に立つように

あるいはにこっとしていただくことが

出来るものを書けるようにと

内容を推考することも含めて、

しっかり時間を作り、

漏れなく準備してアップしていけるように

まだまだやな、と思った次第です。はい。

 

確定申告合宿という名目で

週末は娘が来ていました。

ひと通り、流れを説明し、

考え方や書き方も説明し、

事前に税務署でもらってきておいた

いろいろな資料を渡しました。

その時点で気が遠くなってた様子。笑

 

1行ずつ埋めていこう、と激励し

下書きからスタートして

様々な数字を集めて計算し

どうにか大体の流れを掴み

最終結果を出すところまでやってみて

ちょっと出来そうな気がしてきたようです。

 

わたしも最初は、まるで無知でした。

税務署でもらった冊子を読みつつ

税務署相談も利用しながら

職員さんにいろいろ教えてもらって

数年四苦八苦しましたが

自力で出来るようになりました。

 

自分の頭で考えて、

理解出来るようになった方が

ここから先の力になります。

 

おそらく組織に属して

出世していくというのは

彼女のキャリア的にはなさそうで

自力で稼いでいく人生になりそうだから

これらはきっと必要なこと。

 

とか言いながら

自分のはまだ手付かずです。やれやれ。

今年は4月15日までですよね。

どこかで時間を作らねば。

 

税務署で用意されている説明の冊子は

本当によく出来ています。

説明文は、理論的に正しいことが必須なので

わかりやすくはないのですが、

ゆっくり丁寧に読み込み、

書いてある通りに進めれば

税理士の先生にお願いしなくても

自分で出来るようになっています。

あくまで、わたしレベルの

そんなに複雑ではない

個人の確定申告の場合ですけれど。

 

こういうことの仕組みが

わかってるかどうかで

随分いろいろなことの考え方も

変わってくるというもの。

大袈裟ですが、社会や商売のことも

少しずつ見えてくるというものです。

 

社会に出て、組織に属して

働くことだけに一生懸命で

お給料が毎月振り込まれることに

何の疑問もなく、

天引きされているものが何なのかも

今ひとつ分かっていない、

なんとなく、しか分かってない

娘に限らず、普通は

そういうもんだと思います。

 

わたしも自分で人事関係のことを

全てやるようになってようやく

隅々までわかるようになったのです。

で、これは分かってないと

あかんかったやつやな、と思いました。

 

働き方が今までとは変化していきます。

副業も認められる社会に

変わってもいくようです。

リスクヘッジを取る意味でも

収入の柱はいくつかあった方が

おそらく良いのだろうと思います。

 

いろいろなところから入ってくる

収入をまとめて

その収入を得るために

何にどのくらいお金を使っているのか

1年間でどこにどのくらい

税金を納め、保険料を納めたのか

それを総決算する季節。

何にどんなふうに控除というのが

なされるのかということも

知っているのと知らないのとでは

大きく変わってくるというもの。

 

わたしが知っている少しの知識でも

ゼロベースの娘には

伝えてあげたいことでした。

伝える、というか、とにかく

確定申告、自力でやってみる、ということを

彼女が出来るようになるなら

この週末の意味があったかなと思っています。

 

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

 

 

変化のきっかけ

 

このところ、眠る前に次の日に着るものを

準備するようにしています。

 

以前は朝にやってたんですけどもね

限られた時間の中でやろうとするから

家を出る時間に影響してしまうのだと

ようやく気がついたというか。

 

いえいえ気はついてましたが、

できませんでした。

仕事から帰って晩御飯を作って食べたら

本を読むか、Netflixを見るか

SNS をだらだら見るか で1日が終了。

ほぼ、毎日そんな感じでした。

 

ほんと、平日断酒万歳!

 

日記を書いたり、仕事をしたり

夜にも時間があることを発見して

大いに活用しているのですが

その中に、次の日の準備をすることも

含まれています。

 

その日の夜の天気と気温、

次の日の朝の天気と気温、

翌日どんな風に推移するかをまず確認。

 

自分の予定をそこに当てはめて

着ていくものを選びます。

 

そしてアイロンをかけるべきものはかけ、

猫の毛を取るべきものは取り、

静電気除去スプレーが必要ならかけて

履いていく靴と持っていくバッグも

頭に浮かべておけば

次の日の朝の準備にかかる時間は

着替える時間だけということに。

 

何を着て行こうかと悩む時間を

前の日に先取りしておくことで

朝の時間割があまり狂わなくなりました。

 

この”悩む”時間が不確定要素だったのですね。

 

すぐに決まる日もあれば、

こじれてしまって何を着ても変な気がして

なかなか出かけられなくなる日もあって。

これを朝の時間割から取り除いたことで、

安定して決まった時間に家を出ることが

出来るようになりました。

 

どんなことでも

最初はうまくいかなくても

諦めずに試行錯誤する。

小さなことでも

理想形を描いてみて

どうしたら出来るかを考えてみる。

普通の毎日だけど

そんなことの繰り返しで

変わっていくことを実感すると

なんだか楽しく面白い。

やったら出来るやん、は

やっぱり嬉しいもんだからね。

 

大きな変化の最初のきっかけになる

大事な鍵、テコになるものは

誰にでもきっとあるのだろうと思います。

 

私にとってのそれは多分

「平日にお酒を飲まない」って

ことだったんだろうな。

ここが変わらなければ

夜の時間の過ごし方も

ましてや朝の時間の過ごし方も

変えることはできませんでした。

 

ALL FREE なら

何本飲んでもいいからルールと

(だいたい2本で満足します)

冷蔵庫に切らさないようにする仕組み作り。

些細なことに見えるけど

ここを手を抜かずにやることで

ビールに手を出さずに

機嫌よく過ごせています。

 

夜の時間が長いことにびっくり。

(どんだけ無駄にしてきたあたし。)

キッチンをピカピカに磨き上げ、

布巾を洗い、干して、

のんびりとフルーツを食べたり

ちょっとビデオを見たり。

 

その日のお買い物の記録をつけたり

明日の仕事や食事の算段をしたり

お風呂にのんびり入って

丁寧に肌や髪の手入れをしたり。

 

キッチンが片付いていると

次の日のスタートも至極スムーズ。

 

いろんなことが整うと心も整います。

リラックスする時間を楽しむことも

以前よりもずっと自覚的に出来てて

嬉しい気持ちで過ごす時間が増えました。

 

だらだらしてる自分のことを

嫌にならずにすむ というのは

いいもんです。

できればね、続くといいな、の中でも

これは一生続くといいな、と

ほんと、思ってます。

 

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

 

 

スペースの役割

 

場所を変えましたの。

お化粧をする場所を。

 

今までは以前の寝室にある

テーブルの前が定席。

前に鏡を貼ってあるし

道具も揃えてあるし

10年以上同じ場所で化粧してました。

 

自然光がほとんど入らないので

電灯を明るく灯すようにして。

 

これがねー

良くないんじゃないかと。

 

目が悪くなってるので

この明かりの下でお化粧して

なんか、きれいに仕上がってる気になって

お日様の下で鏡を見ると

ギョッとする(笑)ことが増えたのですよ。

 

あかんな、

もうそろそろほんまにやばい。

 

アイロンがけをしている時に

ふと思いついて、

アイロン台にしているテーブルに

道具を運んで

お化粧をしてみました。

 

窓際で、東向き。

ブラインドの羽を調節すると

いい具合に明るく、明るすぎずの

きれいな自然光になります。

 

今の自分の顔を

鏡でしげしげと見ながら

うわー。しょうがない。

これはもうしょうがないね と。笑

 

きれいに、という時代は

うっかりしている間に

いつの間にか終わったのね。

 

化粧はどうにか感じ良く

ちょっとでもましに見えるようにするための

身だしなみの一部。

そう思うしかない。

それはそうだ、の歳になってるのだ。

 

何を塗っても

肌の質感はもうどうしようもないし

まぶたは窪むし、唇は痩せるし。

 

意外とあっけないもんだ。

ついこの間まで、

まだどうにかなりそうな気がしてたのに

もう、ほんと、どもならんわ。

 

ということを

自然光の下で自覚して

それは、それでよかったんだけど

小さくため息をついてます。はい。

 

とにかく、お化粧をする場所は

そこにすることにしました。

必要な道具を運び

ものの位置が変わり

朝のルーティンも少し変更。

 

でも、お風呂の前のブラッシングとか

お風呂上がりの肌のケアなどは

今まで通りの場所で。

 

家の中のどの場所で

何をするのか というのも

心地よい場所を選び

気持ちよく過ごせるように考えると

その時間の質が上がります。

 

なんとなく、いつもそうだから、で

習慣になっていることが

ベストだとは限らない。

 

寝室を思い切って移したのも

本当に良かった。

しっかり顔が見える場所で

お化粧をするのもある意味

晴れやかな気持ちにもなります。

良く見える というのは

気持ちのいいことだ。

 

仕事をする場所

体操をする場所

本を読む場所

料理を食べる場所

テレビの位置

猫のための場所

 

テーブルを動かしたり

ソファを動かしたり

好きにしていいんだよね。

こうしちゃダメってルールなど

ないんだから。

 

大きな家具でも

これは本当に必要なの?を

考えてみる。

 

思案することも

妄想することもたくさんあって

”名案”はそんなに簡単には浮かばないけど

考えるのは結構面白い。

ものを減らす、と考えると

可能性はまたぐっと広がりそう。

 

昨日紹介してた BRUTUS の中に

nendo の 佐藤オオキさんのご自宅があり

見事にものがない

ミニマリズムのお手本のような空間に

衝撃を受けました。

 

そして、絶対真似できないけど

この感じはやっぱり憧れるなぁと

思ってしまった。

 

少しね、このところインテリアに

気持ちが向かっております。

 

家にいる時間を

幸せな時間に!運動です。

なにせ、基本は自粛ですからね。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

 

 

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